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校長が演壇にあがり、モアイに何やら耳打ちした。
理事長、このままだと岩田選手の講演時間がなくなってしまいます――そんなことを言ったのだろう。
生徒たちのあいだから失笑(しっしょう)が起こった。
モアイは威厳を見せつけるかのように校長を手で追い払うと、ひとつ咳払(せきばら)いをしてから、格闘技のリングアナウンサーみたいな口調で声を張りあげた。
「それでは演壇にあがっていただきましょう!
身長186センチ、体重110キロ。
柔道100キロ超級金メダリスト、岩田勇造選手です!」
モアイが拍手をうながしながらステージの端(はし)にしりぞいていく。
生徒たちのあいだから面倒くさそうな拍手が起こった。
俺の三つ前の席に座っているカツオが後ろを振り返り、満面の笑みを向けてきた。
わるいなカツオ、俺は格闘技とか金メダルとかには興味がないんだ。
俺は眉(まゆ)をひそめながら、前を向けよ、と顎(あご)で返した。
カツオは俺に共感してもらえなかったことに落胆する様子もなく、満面に笑みをたたえたまま正面に向き直り、盛大な拍手をステージに贈った。
……カツオ、空気読めてないぞ、それ。
ほどなくして、ステージの右側から、金メダリスト・岩田勇造が姿を見せた。
彼のことはテレビで観たことがある。というより、つい最近までテレビにでまくっていた。
首相官邸に招かれて総理大臣に会ったり、一日署長をしたり、バラエティー番組でオリンピックのおもしろエピソードを語ったり、プロ格闘家に転向するとかしないとかでニュース番組に話題を提供したりと、まさしく『時の人』だった。
会場に、ざわめきが起こった。
俺たちの前に姿を見せた岩田勇造は、テレビで観るのとはまったくと言っていいほどイメージがちがっていた。
肩を落として弱々しく歩くその姿は、とても100キロを超える大男には見えない。
講演ということでスーツを着てきたんだろうけど、その出で立ちのせいで人生にくたびれた中年サラリーマンのように見える。
五輪金メダリスト・岩田勇造が演壇に立った。
俺たちを見おろす眼差(まなざ)しには生気が感じられない。
拍手はとっくにやんでいた。
岩田勇造がなかなか言葉を発しないせいで、体育館の空気が重い沈黙で張り詰めている。
俺は、暮咲さんの後ろ姿を見た。
あいかわらず顔をうつむかせている。有名人をじかに見るチャンスだっていうのに興味がないんだろうか?
まあ、暮咲さんらしいと言えば暮咲さんらしいんだけど。
ふいに、岩田勇造がため息をついた。
それがマイクに当たって暴風のような音が体育館にとどろく。
やがて、岩田勇造は弱々しい声で言葉を口にした。
「みなさん……金メダルをとった喜びって、どれくらいつづくと思いますか?」
会場がにわかにどよめきはじめた。
その問いかけに答える者はいない。
金メダルをとった経験がないのにその喜びがどんなものかなんて俺たちには知るよしもない。
ましてやその持続時間なんて想像の範疇(はんちゅう)をはるかに越えている。
「30分……」
岩田勇造は、みずからその問いに答えて言った。
「金メダルをとった喜びは、たったの30分しかつづきませんでした。
その喜びも、優勝できて嬉(うれ)しい、というものではなく、『期待を裏切らずに済んでほっとした』といったたぐいの安堵感(あんどかん)というか開放感というか、そんなネガティブなものでした。
そしてすぐに大勢の人たちにとりかこまれ、次の世界大会、四年後のオリンピックについて質問攻めにあい、さらに大きな期待とプレッシャーを一身に浴びることになるのです……」
金メダリストは、それっきり口をとざしてしまった。
場内は、どよめいている。
ステージの端(はし)で、モアイが慌てふためいて右往左往(うおう・さおう)しているのが見えた。
賢策とカツオが後ろを振り返って俺のほうを見た。
賢策は勝ち誇った笑みを、カツオは困惑の表情を浮かべている。
俺は、暮咲さんに視線を向けた。
その後ろ姿は、ずっと変わることなくうつむきつづけていた。
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