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俺と賢策は、およそ2週間ぶりにいつものバーガーショップに立ち寄った。
そして、いつもの席に座る。
でも、いつもとは感じがちがっていた。
カツオがいないだけでこんなにも違和感があるものなんだろうか?
たぶん、それだけじゃない。
俺がまだショックから醒(さ)めていないのがいちばんの理由なんだ。
「まさか、カツオがボクシングだなんて……」
おもわずつぶやいていた。
「上機嫌の効果だよ」
賢策が勝ち誇ったかのように俺のつぶやきに応えた。
「カツオがボクシングに興味を持っていたのは誠一だって知ってるだろ。たぶん、ずっと前からやりたいって思ってたんだよ。でも、勇気がなくてはじめられなかった」
「上機嫌をやって、はじめる勇気がわいてきたって言うのか?」
「そうだよ。上機嫌はおそれを消してくれるんだ。喜びの感情が満ちあふれると、いままで怖(こわ)かったことが怖くなくなるんだよ。
機嫌よくおそれるなんてできると思う? 上機嫌には人を変える力があるんだ。僕もいま、身をもって実感してるよ」
「マユミちゃんのことか?」
「まあね。というか、女性に対する価値観が変わったんだ。恋愛では男がいつも優位に立っていなければいけない――そんな強迫観念みたいなものを僕はずっといだいてたんだ。要するに、女にナメられるのが怖かったんだよ。
でも、上機嫌をはじめてからは怖くなくなった。ナメられたくないとか、優位に立ちたいとか、そんなのは小さなことに思えてきて、それで、やっと気づいたんだよ。恋愛は駆け引きじゃない。ただ相手を大切に想いながらふたりでいることを楽しむ――それがすべてだったんだ」
賢策のやつ、急にマユミちゃんにやさしくなったのには、そんな心境の変化があったのか。
それにしても……。
「『女の敵』は騎士道精神に目覚め、『小動物系へたれキャラ』はボクサーに転身か……まさにおそるべしだな、上機嫌」
「上機嫌には、人を変える力があるんだ」
賢策は俺の顔を真正面から見つめ、意味深(いみしん)な笑みを浮かべた。
「僕は変わった。カツオも変わった。次は、誠一の番だよ」
「俺? 俺はべつに変わる必要なんてないぞ」
「誠一、うそはよくないな。勇気を持てずに想いを押しころしてるだろ?」
「なんのことだ?」
「とぼけるなよ。暮咲さんのことさ」
心臓が飛びだしそうになった。
コーラを手にとってストローで一気に飲み干し、炭酸でむせてゲホゲホ咳(せ)きこむ。
「誠一ってリアクションがわかりやすいよね。おもしろすぎるよ」
「……いつから気づいてた?」
「けっこう前からだよ。ラブマスターをあまく見ないでほしいな。
確か一学期の中間が終わったころからだったと思うな、誠一が暮咲さんのことを頻繁(ひんぱん)に見るようになったのは」
心臓がまた跳(は)ねあがった。
コーラをつかんでストローで吸いこみ、氷だけになったカップが、ずずず、とまぬけな音を立てる。
「僕とカツオは変わったんだ。誠一も勇気をふりしぼって、最初の一歩を踏みだしなよ」
「踏みだせって言われても……どうすればいいんだ?」
「話しかけるんだよ。いままでだってそうしたかったんだろ? 自分が人気者になればなるほど、ひとりぼっちの暮咲さんがますます気になってるんじゃないのか?」
俺は沈黙した。
長いこと考えこんだすえに、自信のない声で、
「俺にできるかな?」
と問い返した。
賢策は、アイドル級のさわやかな笑顔で、言った。
「上機嫌を信じなよ」
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