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第三章
俺は、不安を募らせているんだ
一学期のとき、俺と暮咲さんは席がとなり同士だった。
なんて無口な子なんだろう、と、初めは少しびっくりした。
ずっと顔をうつむかせていてほとんど喋(しゃべ)らないし、こっちから話しかけても目を伏せたままうなずいたり首を振ったりするだけで口をきいてくれない。
たまに言葉を口にすることがあっても、声がものすごく小さくてほとんど聞きとれなかった。
カツオが1年のときに暮咲さんとおなじクラスだったんだけど、カツオによれば、1年のころからずっとそんな感じだったらしい。
俺は孤立している人を見るとほうっておけないタチなんだけど、さすがにここまで会話が成立しないと話しかけようという気が起こらなくなる。
暮咲さんはきっとものすごい恥ずかしがり屋さんで、人と話すのが好きじゃないんだ。
だったら話しかけたりしないで、そっとしておいてあげたほうがいいに決まってる――
俺はそう結論づけることで納得し、暮咲さんのことは意識しなくなっていた。
あれは、5月の下旬におこなわれた中間テストの最終日のことだった。
テストがはじまる直前に、俺のとなりで暮咲さんが鞄(かばん)や机のなかを何度も見直して何かを必死にさがしていた。
横目で見ていて、俺は気づいた。
暮咲さんは筆記用具を忘れてしまったんだ。
おそらくペンケースごと家に置いてきてしまったんだろう。
内気な暮咲さんのことだ、きっと借りたくても恥ずかしくて誰にも声をかけることができずにこまってるんだ。
俺はそう思って、予備のシャーペンと、半分にちぎった消しゴムを、そっと暮咲さんの机の上に置いた。
暮咲さんが、顔をあげて俺のほうを向いた。
初めて暮咲さんの顔を、真正面から見た。
こんなに可愛い子だったんだ、と、まず驚いた。
それから暮咲さんの顔に困惑が浮かんでいることに気づき、俺は安心させてあげようと思って、微笑みながら小さくうなずいてみせた。
「……ありがとう」
暮咲さんの顔に、笑みが浮かんだ。
口もとが少しほころんだだけのかすかな笑みだったけど、それは確かに笑顔だった。
暮咲さんが安心してくれたのがわかって、俺はすごく嬉しくなったんだ。
そのときから、俺はずっと暮咲さんのことが気になっていた。
たった一度だけ、ほんの一瞬のあいだだけ、俺に見せてくれた暮咲さんの笑顔――
それはとても儚(はかな)くて、穢(けが)れがなくて、心が震えるくらいに愛(いと)しかったんだ。
賢策にあんなことを言われたせいで、昨日はほとんど眠れなかった。
暮咲さんに話しかけるなんてハードルが高すぎる。
女子と話をすること自体あまり得意じゃないのに、あの無口な暮咲さんにどうやって話しかければいいんだ?
暮咲さんに話しかけるなんてハードルが高すぎる。
女子と話をすること自体あまり得意じゃないのに、あの無口な暮咲さんにどうやって話しかければいいんだ?
いくら悩んでも答えがでないまま、俺は学校に行った。
いつもは遅刻ぎりぎりの時間に家をでるんだけど、眠れなかったせいでいつもよりも早く登校した。
通学路を歩いているときも、校門から教室へ向かうときも、暮咲さんに会うんじゃないかって思って、すごくドキドキした。
けっきょく暮咲さんに会うことなく、俺は教室にたどり着いた。
暮咲さんはすでにきていた。
まだ朝のホームルームまでだいぶ時間があるのに、着席して顔をうつむかせている。暮咲さんに会うにはもっと早く家をでないといけないみたいだ。
俺はがっかりしたような、でもちょっとほっとしたような複雑な気持ちで、最後列の自分の席に着いた。
俺のまわりにクラスメートたちが集まり、めずらしく遅刻せずにきたことをからかいはじめた。
俺は条件反射的に上機嫌モードへと切り替わり、みんなと談笑に興(きょう)じた。
そうしているあいだも、俺の意識はずっと暮咲さんのほうを向いていて、なんだか心ここにあらずといった感じだった。
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更新
2018年12月4日 文章体裁の乱れを訂正。