2018年6月15日金曜日

言葉なんてなくても

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言葉なんてなくても



 俺は、暮咲さんと一緒に校門をでた。
 葉がすっかり落ちて「枯れ木通り」と化した銀杏(いちょう)並木を、俺たちは肩をならべて歩いていく。

 ゆるやかな下り坂――うっかりすると暮咲さんよりも前にでてしまうので歩くスピードを抑えなければならない。
 女の子と歩くのって、思ったより気をつかわないといけないんだな。

 俺は、暮咲さんの左側を歩いていた。立ち位置はこれで合ってるんだろうか? と少し不安になったけど、男女がならんで歩く場合、男が車道側ってのがマナーのはずだよな。
 それに、一学期の席がこの位置関係だったこともあって、やっぱりこれで正しいんだと自分を納得させた。

「暮咲さんは、電車でかよってるの?」

 暮咲さんは、こくん、とうなずいた。

「どこの駅?」

 暮咲さんが小さな声で駅名を言った。くだり方面に三駅のところだ。

「そっか……俺は家が近いから歩いてかよってるんだ。でも、駅まで一緒に行ってもいいかな?」

 こくん。

 ……これは、会話と言えるのだろうか?
 なんだか不安になってきた。

 俺は「もうすぐテストだけど勉強してる?」とか、「だいぶ寒くなってきたね」とか、いろいろと話題をふってみたけど、暮咲さんはうなずくかひと言返すだけで、ぜんぜん話がつながっていかない。

 気がつくと、俺たちは何も言葉を口にしないまま、だまって並木通りを歩いていた。
 俺はあせりを覚えた。

 そのとき暮咲さんの左手が、俺の右手に当たった。
 暮咲さんが小さく、あっ、と声をあげて手を引っこめる。
 触れたのはほんの一瞬だったけど、暮咲さんの手がすごく冷たくなっているのがわかった。

「そろそろ手袋が必要だね」

 暮咲さんは顔を伏せたまま、うなずいた。
 顔がほんのり赤いのは、日が傾(かたむ)いているせいばかりじゃない。

 そして思う。
 あんなに手が冷たくなるなんてかわいそうだ。
 女性は基本的に冷え性だから体の末端の手足が冷たくなりやすいって言うけど、でもやっぱりかわいそうだと思う。

 俺は右手で、暮咲さんの左手をそっと握(にぎ)った。
 暮咲さんがさっきよりも少し大きな声であっと言い、俺の顔を見つめた。

「こうしてると、左手だけでも温かいでしょ?」

 俺の声は、なんだか弁解じみていた。
 実際、俺は自分の突発的な行動を後悔していた。
 内気な暮咲さんに対してこれはさすがに軽率すぎるよな。

 でも、どういうわけか暮咲さんの手をはなすことができなくて、それで俺は、さらに弁解を重ねた。
「それに、こうしていれば暮咲さんを置いて先に歩いちゃったりとかしなくなるし……」

 暮咲さんは俺の顔を見つめたまま、何も応えない。
 俺は動揺して、暮咲さんの手をはなそうとした。
 でも、暮咲さんが俺の手をきゅっと握ったために、はなすことができなかった。

 驚いて、暮咲さんの顔を見た。

 暮咲さんが、こくん、とうなずいた。

 ……これって、手をつないだままでいいって意味だよな。

 暮咲さんが、あらためて俺の顔を見つめてきた。
 目が合った。
 暮咲さんははにかんだ笑みを浮かべ、恥ずかしそうに顔を伏せた。

 やっぱり手をつないだままでいいんだ。
 そう確信した俺は、正面に向き直り、暮咲さんと手を握り合ったまま、ゆっくりと歩きはじめた。

「中沢くんの手、温かい……」

 暮咲さんがぽつりと言ったのを最後に、俺たちは駅までひと言も喋(しゃべ)らなかった。
 手をつないで歩きながら、どちらからともなく相手に顔を向けては見つめ合い、何度も微笑み合った。

 そして俺は、気づいたんだ。
 会話だけがコミュニケーションの手段じゃない。通じ合い、共感し合えるものさえあれば、言葉なんてなくてもよかったんだ。



 楽しい時間はあっという間にすぎるって言うけど、本当に駅まであっという間だった。
 もっと一緒にこうしていたいのに……。

 俺の手からはなれた暮咲さんは、改札をとおり、ホームにつながる階段をのぼっていく。

 その姿が完全に見えなくなる手前で、暮咲さんが振り返ってこっちを向いた。
 俺が手を大きく振って応えると、暮咲さんは胸もとで控え目に手を振り返してくれた。
 そして、はにかんだ笑みを残して、暮咲さんは階段をあがっていった。

 暮咲さんの姿が完全に見えなくなったあとも、俺はその場にとどまって、胸にこみあげてくる幸福感にひたりつづけていた。

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