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きみと、手をつないでいたい
階段をおり、靴箱で靴を履き替え、昇降口をでる――
いつもは何も感じることなく無意識でやっていることが、今日はなんだかすごく新鮮だった。
暮咲さんと一緒だと、それだけで何もかもが心地よくて、日常の何気(なにげ)ないことがすばらしいことのように思えてしまう。
そのあいだ、俺たちは少しだけ会話をした。
来週から期末テストだね、と俺が言い、暮咲さんがこくんとうなずく。
「テストは好きじゃないけど、でも、楽しみなこともあるんだ」
俺がそう言うと、暮咲さんは不思議(ふしぎ)そうな顔を俺に向けた。
俺は、じらすように少し間をおいてから、言った。
「テストのときって出席番号順に席を座り直すから、一学期と席がおなじになるでしょ。そうなると、また暮咲さんのとなりに座れるからね」
暮咲さんは顔を真っ赤にして、うつむいてしまった。
恥ずかしそうなその仕草(しぐさ)はすごく可愛かったけど、俺は反省した。
暮咲さんが内気だってことを忘れてはいけない。昨日は手をつないだりしたけど調子に乗っちゃダメだよな。思わせぶりな発言は控えるようにしよう。
俺と暮咲さんは肩をならべて校門をでた。
「枯れ木通り」と化した銀杏(いちょう)並木。
風は冷たくかわいている。
「もう冬なんだね」
俺がそう言うと、暮咲さんはこくんとうなずいた。
そして、ポケットから淡いピンク色をした毛糸の物体をとりだして、いたずらっぽく微笑んだ。
「ミトン……今日は持ってきたんだ」
こくん、と暮咲さんはうなずく。
昨日、そろそろ手袋が必要だね、と言ったことを思いだして、俺はちょっと複雑な気持ちになった。
今日もまた暮咲さんと手をつないで帰れるんじゃないかって、心のどこかで期待してたんだ。
でも、ミトンがあるんじゃ俺の手はいらないよな……。
暮咲さんが立ちどまってミトンを着けはじめた。
ほとんど白に近い淡いピンク色で、恥ずかしがり屋さんの暮咲さんにとても合っているように思えた。
暮咲さんは右手を淡いピンクで覆(おお)うと、もう片方のミトンをポケットにもどした。
「暮咲さん……?」
暮咲さんは紅潮した顔をうつむかせて、下を向いたまま握手を求めるみたいにして左手を俺のほうに差しだした。
……これって、手をつないでほしいって意味だよな?
俺はドキドキしながら右手を伸ばし、暮咲さんの手を握(にぎ)った。
その手はとても冷たかったけど、でも俺がそう感じてるってことは暮咲さんは俺の手を温かく感じてくれているわけで、そう思うとなんだかすごく嬉しくなった。
暮咲さんが顔をあげた。
目が合った。
俺が笑いかけると、暮咲さんは呼応(こおう)するかのように微笑み返してくれた。
俺たちは、手をつないで歩きはじめた。
会話らしい会話なんてなかったけど、俺たちにはむしろ言葉なんて邪魔なくらいで、こうやって手をつないでいられるだけで充分すぎるくらいに楽しかった。
「中沢くんの手、温かい」
暮咲さんは心に刻みつけるかのように、その言葉を何度も口にした。
そのたびに俺は『嬉しい』という意思を伝えたくて、つないでいる手に少しだけ力をこめて暮咲さんの手をきゅっと握った。
そしてあらためて、小さな手だな、と思う。
こんな小さな手で、俺とおなじ高校2年生として生活してるんだって思うと、なんだか不思議な気持ちになって、愛(いと)しさが胸にこみあげてくる。
駅までの道のりは、あっという間だった。
別れのときがきたのに、俺はなかなか手をはなすことができなかった。
「ずっと、こうしていたい……」
俺がつぶやくようにして言うと、暮咲さんは真っ赤になって顔を伏せてしまった。
さっき恥ずかしがらせちゃいけないって自分に言い聞かせたばかりなのに、またやってしまった。
しかもその表情と仕草がすごく可愛くて、もっと恥ずかしがらせたいって思う自分がいることに気づいて、俺は少し後ろめたさを覚えた。
俺は、俺の体温が伝わってすっかり温かくなった暮咲さんの手を、ゆっくりとはなした。
暮咲さんは顔をあげて、はにかんだ笑みを浮かべた。
「……今日も駅まで送ってくれて、ありがとう」
その声はいつもよりも大きくて、耳を澄まさなくてもはっきりと聞こえた。
俺はここで、どういたしまして、とか、俺のほうこそありがとう、とか、そういった言葉を返すべきだったのかもしれないけど、でも俺の口からは言葉なんてでてこなくて、その代わりに俺は、満面の笑顔で暮咲さんに応えたんだ。
暮咲さんはつられるようにして笑い返してくれた。
いままで見たなかでいちばん大きな笑顔だった。
暮咲さんは改札をとおっていった。
階段をのぼってホームへ向かう途中、暮咲さんは振り返って俺のほうを向いた。
俺が手を大きく振って応えると、暮咲さんは照れくさそうに微笑みながら、小さく手を振り返してくれた。
暮咲さんは名残惜(なごりお)しそうにもう一度俺を見てから、ホームに姿を消した。
それからしばらくのあいだ、俺は駅の階段に視線をとどめて暮咲さんの残像を見つめていた。
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