2018年8月20日月曜日

俺は、好きだからこそ(2)

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 放課後になると、暮咲さんが教室をでたのを見とどけてから、俺はひとりで帰った。

 暮咲さんは帰り支度(じたく)を済ませてからも、しばらく動かずに席のところにとどまっていて、俺に誘われるのを待っているのはわかってたんだけど、俺は暮咲さんに声をかけることができなかった。

 できるわけがなかった。
 俺なんかじゃムリなんだ、支えてあげられないんだよ。

 いつもうつむいている暮咲さんの後ろ姿を見ると少し切(せつ)なかったけど、でもやっぱり愛(いと)しかったんだ。
 だけど、内気だとか、恥ずかしがり屋さんだとか、俺が思っていたような生やさしいもんじゃなかったんだ。

 見えるんだよ、暮咲さんのうつむいた後ろ姿に、お母さんが父親に刺し殺される現場を目(ま)の当たりにして、呆然(ぼうぜん)と立ちすくむ8歳の女の子が、どうしても見えてしまうんだ。
 あまりにも可哀相(かわいそう)で、悲しくて、つらくて、何もしてあげられない自分が情けなくて、そして、なんだかわからないけど、とにかく怖いんだよ。

 心に深い傷を負(お)っている女の子を癒(い)やしてあげる自信なんて、俺なんかにあるわけがない。
 俺はヒーローじゃないんだ。何もかもが平凡なザコキャラなんだよ。
 傷を癒やすどころか、うかつなことをやらかして、もっと傷つけてしまうのなんて目に見えてるんだ。

 暮咲さんは声をかけられるのを待っている。
 声をかけないことで暮咲さんを傷つけていることもわかっている。
 でも、できないんだよ。
 触れたら壊れてしまいそうな宝物があったら、触れることなんてできないんだ。
 大切だからこそ、はなれるしかないことだってあるんだよ。

 ふつうの女の子みたいに、失恋したとか、友達に裏切られたとか、そういった心の傷だったら、俺だって逃げたりはしないよ。
 支えてあげて、慰(なぐさ)めてあげて、傷が癒えるまでずっとそばにいてあげたいって思うよ。
 だけど、お母さんが父親に刺し殺されたって、なんだよそれ! 俺にどうしろって言うんだ!

 もし雅行さんが言ったみたいに、暮咲さんが背負っている重荷を俺が半分受けもつなんてことが本当にできるのなら、喜んでそうするよ。
 半分どころか、ぜんぶだって受けもちたい。代われるものなら代わってあげたい。
 だけど、実際にはそんなことできないんだ。

 人間の心は物じゃない。半分に分けたり取り替えたりなんてできないんだ。
 自分が受けた心の傷なら自分の努力で癒やせるけど、人が受けた心の傷は、俺の力じゃどうすることもできないんだ。

 暮咲さんと手をつないだり、微笑み合ったりするたびに一体感を感じてすごく嬉しかったけど、でもその感覚は、しょせん思いこみでしかなかったんだ。

 ひとつになんてなれないんだよ。

 互いの心は分かち合ったり交換したりなんてできなくて、しょせんは他人同士だってことを思い知らされて、悲しくて、みじめで、無力な自分が情けなくて、消えてしまいたくなるんだ。

 暮咲さんと一緒なら、どんなことでもがんばっていけそうな気がしてたんだ。
 暮咲さんの笑顔をずっと見守っていたいって、本気でそう思ってたんだ。

 でも、ムリなんだよ。
 俺、知らなかったから、暮咲さんが微笑んでくれたから、自分の弱さも忘れて、思いあがってたんだ。

 暮咲さんと一緒にいたいって思うほど、暮咲さんを守ってあげたいって願うほど、等身大(とうしんだい)のちっぽけな自分を思い知らされて、ダメな自分に打ちのめされるんだよ。

 俺が暮咲さんの苦しみを半分にしてあげるとか、俺がつらいことをぜんぶ忘れさせてあげるとか、そんなことを軽々しく言えるほど、俺、無責任にはなれないよ。

 暮咲さんのことが大切だからこそ、大好きだからこそ、俺には何もできないんだ。

 だから、暮咲さん……。

 ごめんね。

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