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第五章
カツオの苦悩
俺たちは駅前の繁華街へ行き、バーガーショップにはいった。
ドリンクだけを頼んで二階へ向かう。
俺たちが「いつもの席」と呼んでいた場所はすでにほかの客が座っていて、俺たちは慣れない席に陣取った。
3人でここにくるのはひさしぶりだったけど、空気がやたらと重くて、懐(なつ)かしさにひたってなどいられなかった。
カツオの様子が変だった。
ひどく思い詰めた顔で、うなだれている。
賢策が以前に「カツオの様子がおかしいと思わないか」と言ってきたことがある。
でも俺が見るかぎりカツオはいつもとおなじで、今日だって休み時間にはクラスメートと機嫌よく談笑してたんだ。
深刻な悩みをかかえているようには見えなかったし、何よりプロボクサーを目指してひたむきにがんばってるはずだったんだ。
俺たちは言葉もなく、ただ座っていた。
俺と賢策がならんで座り、向かい側にカツオが座っている。
人が見たら、俺と賢策がふたりしてカツオを責めていると思うかもしれない。
無言のまま時間だけが流れていく。
「それで――」
賢策が、ようやく言葉を口にした。
「いったいどうしたっていうんだ? 悩みがあるのなら、僕たちに相談しなよ」
カツオは唇を噛み締めて、うなだれている。
これじゃ本当に俺たちが責めてるみたいだ。
長い逡巡(しゅんじゅん)のすえに、カツオは消えいりそうな声で言った。
「教えてくれないんだ……オレには、何も」
「教えてくれないって、何を?」
「……ボクシング」
俺と賢策は、顔を見合わせた。
カツオの話だと、入門してから半月以上が経っているのに、立ち方しか教えてくれないんだそうだ。
いちばん最初に教わるのが立ち方で、両手を腰に当てて半身(はんみ)をとり、そのスタンスをくずさないようにして前後に移動する。
カツオに許された練習は、それだけだった。
「オレよりもあとに入門してきた練習生がもうサンドバッグやミットを打たせてもらっているのに、オレはいまだに拳(こぶし)を構えることすら許されないんだ。
くる日もくる日も腰に手を当てて前後に移動するだけ……
オレ、もう耐えられないんだよ」
はっきり言って、驚いた。
カツオはテスト期間も休まずにジムにかよっていた。憧(あこが)れだったボクシングをはじめたことで充実した毎日を送っているものだと、俺は思いこんでいたんだ。
学校ではいつもどおり上機嫌にふるまっていたし、まさかそんなつらい思いをしてたなんて想像すらできなかった。
ジムのトレーナーが何を考えているのかなんて俺にはわからないけど、おそらくプロ志望で入門してきたのに才能が見てとれなかったので、カツオは早々(そうそう)に見かぎられたってことなんだろう。
「だから、オレ……もう上機嫌、やめていい?」
その言葉は、ボクシングをやめたい、という意味だった。
カツオにとって上機嫌とボクシングは、車の両輪みたいに相乗効果(そうじょう・こうか)によって成り立っている。
上機嫌だからこそボクシングをやるモチベーションがたもてるのだし、ボクシングをやっているからこそ上機嫌でいられる。
だから、どちらかいっぽうがくずれたら両方ともダメになってしまうんだ。
「オレ、背伸びしすぎたんだよ。上機嫌もボクシングも等身大(とうしんだい)のオレじゃなかったんだ。
クラスの人気者になったり、ボクサーになったり、いまにして思えばなんて無茶してたんだろうって思う。
オレ、自分を偽(いつわ)ることに疲れたんだよ……」
本当に疲れ切った声だった。
カツオは弱々しくうなだれている。
負けを認めた人間特有のみじめさが、カツオの全身からにじみでていた。
俺は、目をそむけたい衝動(しょうどう)にかられた。
カツオに自分の姿が見えたからだ。
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