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雅行さんの話
雅行さんは席を立ち、キッチンへ向かった。
コーヒーメーカーを使ってふたりぶんのコーヒーを淹(い)れ、カップをテーブルに置いた。
そのあいだ、言葉はなかった。
さっきまでの人懐(ひとなつ)っこい物腰は鳴りをひそめ、真剣さをとおり越して深刻な雰囲気(ふんいき)がただよっている。
気まずい沈黙のなかで、俺は少しにがめのコーヒーをちびちびとすすった。
「香苗ちゃんに、頼まれたのです」
ふいに、雅行さんが言葉を口にした。
視線を落としたその顔は、深刻なままだった。
「香苗ちゃんの両親のことを、きみに話してほしい、と」
「ご両親のこと、ですか?」
俺が訊き返すと、雅行さんは顔をあげた。
「先日、とつぜん香苗ちゃんのほうから私に話しかけてきて、『会って話をしてほしい人がいます』と言ってきたのです。
本当に驚きましたよ。恥ずかしい話なのですが、9年間一緒に暮らしてきて、香苗ちゃんと会話らしい会話をしたことなんてなかったのです。
香苗ちゃんは切実に訴えるかのようにして私に話してきました。
きみがテストのときに何も言わずにペンと消しゴムを貸してくれたことや、きみたちの『上機嫌』のこと、そして、きみのほうから声をかけて一緒に帰ろうと誘ってくれたことなどを、いつもよりも大きな声で、ときどき微笑んだりしながら私に話してきたのです。
香苗ちゃんがこんなふうに一生懸命に話したり、こんなふうに笑顔をこぼしたりするのを見たのは初めてでした。
香苗ちゃんにそれをさせたのが9年間一緒に暮らしてきた私ではないことに、正直、嫉妬(しっと)のようなものを覚えましたよ」
「…………」
「そして、香苗ちゃんは最後に、『私、話すのが苦手だから、私じゃ両親のことをちゃんと話せそうにないので、どうか叔父さんから話してください』と、思い詰めた顔で頼んできたのです。
私に断れるはずなんてありませんよね。
それで今日、こういうかたちできみにきていただいたわけです」
俺は言葉をはさむどころか、相槌(あいづち)すら打てなかった。
空気があまりにも重くて、深刻すぎて、言葉がだせなかったんだ。
沈黙が降り立った。
張り詰めた空気が重くて、怖くて、この場から逃げだしたくなるほどだった。
雅行さんがカップを手にとり、一気にコーヒーを飲み干した。
ためらいを吐きだすかのように、はあっ、と息をつき、そして、雅行さんは俺の目を見つめて、言った。
「香苗ちゃんのお母さんは、香苗ちゃんの父親にころされたのです」
俺は、愕然(がぐぜん)となった。
ショックのあまりに気をうしないそうだった。
めまいがした。
頭が真っ白で、体が自分のものじゃないみたいで、胸にうずまく言いようのない恐怖がかろうじて俺を現実の世界につなぎとめていた。
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