2018年9月18日火曜日

ごめんね、ありがとう(1)

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ごめんね、ありがとう



 俺と暮咲さんは、ならんで歩いた。
 暮咲さんはピーコートを着ているものの少し寒そうにしていて、つい手を握ってしまいそうになる。
 でも、いまの俺たちの状況ではさすがにそれはできないよな。

 気がつくと、俺たちは駅前の市民公園にきていた。
 あたりはもうすっかり暗くなっていて、点在する街灯が夜の公園にさびしげな色を与えている。

 園内の遊歩道を、言葉もなく歩いた。
 俺たちは、あの日、猫とたわむれたベンチのところにきていた。

 どちらからともなく、俺たちはそこで足をとめた。
 話すならここしかない。
 なぜだかそんな気がしていた。

「暮咲さん、あ、あの……」

 喉(のど)がカラカラに渇いていて、うまく喋(しゃべ)れなかった。
 軽く咳払(せきばら)いをして、仕切り直す。

 街灯の明かりが暮咲さんの顔に陰影を与え、かたい表情を浮かびあがらせている。
 暮咲さんのこんな険(けわ)しい顔を見るのは初めてだ。

 やっぱり迷惑に思ってるのかな。
 もしかして怒ってるのかな。
 俺、もう嫌われちゃったのかな。

 そりゃ、そうだよな……。

 もしかしたら、もう手遅れなのかもしれない。
 でも、言わなくちゃダメなんだ。
 これで、すべてが終わることになったとしても――

「……ごめんね」

 おもわず、その言葉がでてきた。

 暮咲さんの表情がますます強張(こわば)っていく。

 俺は、喉が締めつけられるような感覚に耐えながら、懸命に言葉をつむいだ。

「……俺、怖かったんだ。暮咲さんの過去を知って、暮咲さんがかかえている傷や苦しみがすごく大きいことを知って、怖くなったんだよ。
 ごめんね、俺、自分でも気づいていなかったけど、すごく臆病なんだ。怖くて、暮咲さんを守ってあげられる自信がなくて、逃げだしたんだ。
 暮咲さんが俺を信じてつらい過去を打ち明けてくれたのに、俺、弱くて、弱すぎて、受けとめてあげられなかったんだ。
 ……本当に、ごめんね」

 暮咲さんが俺の顔を見つめている。
 胸に何かがこみあげてきた。それは悲しみのようでもあり、不甲斐(ふがい)ない自分に対する怒りのようでもあり、切なさのようでもあり、罪悪感のようでもあった。
 俺は両手に拳(こぶし)をつくり、その拳を震えるほど強く握りしめて、こみあげてくる何かを必死に抑(おさ)えた。

「できることなら俺が暮咲さんを守ってあげたい。俺が暮咲さんを支えてあげたい。暮咲さんの心の傷を俺が癒(い)やしてあげたい。
 ……だけど、俺、かえって暮咲さんを傷つけてしまいそうで、怖いんだよ。暮咲さんのこと、すごく大切に想ってるから、だから、近づけなかったんだ。
 ……俺、暮咲さんが思っているよりもずっと弱くて、小さくて、情けなくて、ダメな男なんだ。
 避(さ)けるような態度をとったりして、本当に、本当に、ごめんね……」

 それ以上は言葉にできなかった。

 暮咲さんは俺の顔をじっと見つめている。

 やがて、暮咲さんはほっとしたような笑みをこぼして、
「よかった……」
 と、つぶやいた。

 俺は笑顔の意味も「よかった」の意味もわからなくて、呆然(ぼうぜん)としていた。

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