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あれから
カツオはあれから、毎日ジムにかよっていた。
そして、いまでは構え方やパンチの打ち方を教えてもらえるようになっていた。
じつは、カツオが立ち方しか教えてもらえなかったのには理由があった。
プロを志望して入門してきた者には試練を与える――それがジムの方針だったんだ。
そうやってボクサーとしての適正を試しているそうだ。
そしてその試練というのが、「立ち方しか教えずに毎日それをひたすら練習させる」ということだったんだ。
ボクシングは、ときに死者がでるほど危険な競技だ。生半可(なまはんか)な気持ちではプロのリングにあげることはできない。
そこで、入門してきた時点でふたつのことを試しているのだという。
ひとつは、会長やトレーナーの言ったことを素直(すなお)に聞いて実行できるかどうか。
もうひとつは、毎日おなじ練習のくり返しに耐えられるかどうか。
試練の期間は3週間。
そして、カツオはこの3週間を耐え抜き、試練を突破した。
まあ、かなりあぶなかったけどな。
いまではプロ候補生として期待され、次から次へといろんなテクニックを教えこまれて大変なんだと、カツオは嬉しそうに話していた。
上機嫌もいままでどおりつづけていた。
カツオを中心に男子生徒が集まり、格闘技や男の美学について毎日飽(あ)きもせずに語り合っている。
よかったなカツオ、何もかもうまくいって。
ちなみに、カツオは最近、俺のことを「セーチくん」と呼ばなくなっていた。
ちゃんと「誠一くん」と言うようになり、話し方もいくらか男らしくなった気がする。
憶測(おくそく)だけど、もしかしたらカツオは自分に対して自信がつくまで「誠一くん」と呼ばないようにしていたのかもしれない。
俺にすがっているうちは「セーチくん」から卒業しないと決めてたんじゃないだろうか。
とはいえこれは憶測にすぎないし、それに、どうでもいいことだしな、呼び名なんて。
テレビのニュース番組に、金メダリスト・岩田勇造がでていた。
地元の町道場で子供たちに柔道を教えることになったらしく、試合では見せたことのない笑顔が、いかつい顔いっぱいに広がっていた。
そしてその道場で、岩田勇造は簡易(かんい)の記者会見を開き、現役引退を表明した。
この電撃的な引退表明は日本じゅうを驚かせた。
岩田勇造は引退の理由として、
「試合で勝つことより、もっと価値のあるものが見つかった」
と語っていた。
誰もがこの引退には批判的だった。
「オリンピック連覇の期待がかかっていただけに理解できない」
「24歳で引退は早すぎる」
テレビのコメンテーターたちは口々(くちぐち)に言い、なかには「国民の期待を裏切った」と言って、露骨(ろこつ)に責めたてる者までいた。
でも、俺にはわかっていた。
彼はやっと見つけたんだ、自分にとっての『いま幸せ』を。
子供たちと接しているときのあの笑顔を見れば、そんなのはすぐにわかることだった。
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終業式を終え、俺たちは冬休みを迎えた。
もうすぐクリスマスだった。
カツオは年末年始もジムで練習だという。
「プロのリングで勝ちたいのならほかのやつらが楽(らく)してるときに練習しろ、なんてトレーナーに言われちゃってさ。休ませてくれないんだよ」
愚痴(ぐち)るように言いながらも、カツオの顔は嬉しそうだった。
賢策は、毎年大勢の人を招いてパーティーを開いてたんだけど、今年はひとりの女の子と過ごす予定だと言っている。
もちろん相手はマユミちゃんだ。
賢策のやつ、ほんと『いい彼氏』になったよな。
俺?
俺は、言うまでもなく――
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